会話の答えを探す子供
先日、国語が出来る子供と算数が出来る子供のこんな会話を聞いた。
国「俺、プールが嫌で塾に行き始めたんだよなー」
算「へー、プール嫌いなんだ」
国「だから、またココに来るなんて思わなかったよ」
算「来てんじゃんw」
国「だから、お前は国語が出来ないんだよw」
算「?」
二人の思考のズレ
国語君の言う「プール」と言うのは習い事としてのプールであり、泳いだり友達と遊んだりするのが嫌いと言っているわけではない。「プール」の代替として「塾」が出てくる時点で両方とも「習い事」である事は言わずとも伝わると思っているんだろう。
しかし、算数君は「プールが嫌」つまり「プールが嫌い」であると感じている模様。
続く国語君の「だからまたココに来るとは思わなかった」の言葉。二人は国語君が通っていたスイミングスクールの場所にいると思われる。おそらく生活圏内から外れているか、普段は近づかない場所にあるのだろう。つまり「ここに来るのが嫌」なわけではなく「再びココにきてしまった偶然に驚いている」気持ちから出た言葉なのだろう。
そして算数君は「また来ると思わなかった国語君の予想が外れている」と考え「来てんじゃんw」の言葉。
国語君の「また来るとは思わなかった」の言葉は再びその場所に立った結果に対する感想であり予想ではない。ココが伝わってなかったので「だから、お前は国語ができないんだよw」と。
本人に聞いたわけじゃないからアレだけど多分こんな感じだろう。
この「ズレ」を埋めていいのか
算数君の算数は偏差値70前後で、国語君は65前後と言う感じだから二人とも出来ない子供なわけではない。しかし、互いの思考を中間点に近づけるのはどうにも悪手の様な気がしてならない。
この話を聞いてから、子供の良さを伸ばすためには捨てる部分があってもいいんじゃないかと自問自答するようになった。
親として答えは出すけれど、それが正解かどうかは結果が示すわけではないのが子育ての難しいところでもあり、適当にしてもいい部分でもあるような、無いような。というかそもそも子育てに正解があるのかよ。と言うような。答え合わせなしにどんどん進んでしまうテストはいつ終わるんだよ。みたいな。