ポケモン|ネタバレあり!! 「キミにきめた!」を見てモヤモヤする話


この記事には「ネタバレ」と言われる映画内容を記述しております。
映画を見る前にはあまりお勧めできない内容となります。

また、今回の評価は大方マイナス評価となってますので「今回の映画は良かったなー」と感じている方を逆なでするような記述もあるかもしれません。ゴメンナサイ。

【湯山監督インタビュー】

【全文】
https://www.cinematoday.jp/news/N0093031

今回の映画は20周年を記念する作品との事だが、内容について特筆すべき点は無く、単純に「テレビアニメ ポケットモンスター」の焼き直しでありる事が事前に告知されている故に純粋な「新作」として楽しむことが難しい映画。

インタビューで湯山監督がおっしゃっている「幅広い方々に見て欲しい」と言う目的に対しては現状の肯定的な口コミを見る限り、そこそこの結果が出ているのではないだろうか。

「20周年記念作品として新規へのアピール」「古参が喜びそうなアニポケの新解釈」を両立させ今作は興行的にも、作品的にもうまい具合に落とし所を見つけたのかなと思わせる作品でした。

しかし、「20年」と言う期間は製作者と消費者の意識をこれほどまでに乖離させてしまうものなんだなーと、なんとなく寂しくもあり、悲しくもあり、切なくもあり、色々な感情が残る作品になってしまいました。

・ソウジとマコト

この立ち位置はタケシとカスミだろと古参は考えるのは製作陣もわかっていると思う。それを差し引いて新作映画として新キャラとして出したなら、もうちょっと丁寧にソウジとレントラー、マコトのお母さん(多分シロナ)の話はもうちょっと掘り下げて欲しかった。

特にシロナの話はタケシとカスミじゃない時点で「アニポケ」ではないのだから、映画軸の話として「ちょっと地元では有名なトレーナー(実はチャンピオン)を持つ子供トレーナー」の内面の話があって良かったのではないか。(そもそも母親のシルエット、マコトの出身地をシロナに寄せたのかが疑問だしモヤモヤする。)

死んでしまったレントラーの話ももうちょっと前に持ってきていればソウジの傷ついたポケモンに対する熱い反応も納得できるのに。

・しゃべるピカチュウ

なんなん??(怒)
サトシ目線の演出とはいえ「ずっといっしょにいたいから」としゃべらすとか。

サトシと出会って旅をしてゆくなかでモンスターボールに入らなくなった。

なぜか? 「ずっといっしょにいたいから」

これならワカル。

しかし、ピカチュウは「モンスターボールに入らない、人に懐かない困ったピカチュウ」と言う初期設定。つまり、サトシと出会う前からモンスターボールに入らないのであって、「ずっといっしょにいたいから」がモンスターボールに入らない理由になってない。

実は「人が大好きなピカチュウだった」というツンデレ説もあるけど、かなりのモヤモヤをおこす場面。

・現実とのリンク

サトシが「ピカチュウなんていなくたって・・(略)」というダークサイドに落ちそうになるとホウオウの羽が反応しサトシに幻覚(?)を見せる場面。

サトシが私達の現実世界とリンクする場面。飛行機が飛び、ビルが立ち並び、冒険とは程遠い世界で現実の小学生と同じように学校で授業を受ける描写。

ホウオウの羽、もしくはマーシャドーがみせた精神世界でピカチュウとの絆を再確認すると言う演出になるのだろうけどそれを現実社会と結びつけるのは個人的にナシ。この時点で「ポケットモンスターの世界」と「私達の現実」に接点が出てしまう。

従来の作品は「人間の欲望、エゴ」と「純粋なポケモン」と言う対比の中で丁寧にポケモンとの絆を描いてきたのに20周年作品で「私達の現実」にサトシをぶっこんでこれかよ?

現実社会から逃げ出したいサラリーマンとサトシがシンクロする様な描写にも見えるし、冒険に出る事の出来ない私達の代わりとしてサトシが冒険に出ている描写にも見えます。

(そう見えてしまう私が荒んでしまっているのかもしれませんがw)

「私達の現実」を映画(表現)の一部に取り入れる事は見ている人たちに「現実社会でのそれぞれの立ち位置」をすくなからず意識させる表現になるし、今までの映画で意識的に避けていた部分なのではなかったのでしょうか。

この部分の線引きは20周年記念と言えど守って欲しかったなと思いました。

また、映画上(特に初めて見た人達にとって)二人の絆が(他のポケモンとの絆も含め)育っている描写がオニドリル話明けのオープニング部分しかないので、今作だけを見ると「え?」サトシとピカチュウってこんなに仲イイの?となりかねないにも関わらず、この辺は20年と言うアニポケの歴史(刷り込み)によって適当に脳内補正されるだろうと見越した製作陣の「わかってくれよ」的な意図を感じてしまうモヤモヤ。

・バイバイバタフリー

恐らく、未だに無印のDVDとか見る人はごく少数派だとは思うけど、こういった過去作を「昔の話」と捉えているか、「パラレルの現在進行形」として捉えているかで映画自体の評価も大きく変わりそうな気がします。

このシリーズDVD(食玩w)に収録されている「バイバイバタフリー」は四歳も良く見てるし、子供達にとってもタケシとカスミは現役トレーナーなのよね。もちろんデントやアイリスも。

子供達にとってアニポケはパラレルに進む話として無意識に理解しているがゆえに、登場しているアニポケトレーナーと映画キャラクターが「被る」事に違和感を感じている様子でした。
タケシの「俺たちはポケモンを産むことは出来ない」的なセリフもソウジが言っちゃうしね。

また、バタフリーの話は

「一目ぼれのバタフリー(♀)をなんとか振り向かそうと頑張るサトシバタフリー(♂)の努力を見てたからこそ、サトシは泣きながら送り出した。」

と言う話であり、

「オニドリルに襲われているバタフリー(♀)をカッコよく助けたら惚れられちゃって、一緒にバイバイ」

という映画とあまりにも差がありすぎてモヤモヤ。ほんと、これは個人的に許せないw

今の若い子達には「好きな女の子を振り向かすために頑張る男の子」という描写よりも「女の子のピンチを颯爽と助けて惚れられちゃう男の子」の方がいいのかな。複雑。

・ヒトカゲ

無印アニメではサトシの言う事を全く聞かない問題児だったのに「誰?」ってレベルの変貌。
そして映画中に二段階進化はやりすぎじゃね?と思ったり。

そもそもヒトカゲを捨てたのも、強さだけを追い求めていたのも別のトレーナーだったと思うんだけど、映画ではこの要素を全員まとめて「クロス」にぶっこんだあたり、映画補正と言う事でアレだけど、もうちょっと丁寧に・・・

・ホウオウとマーシャドー

今回の映画のメインポケモンとして描かれた「ホウオウ」 ほぼ出番なし。
勇者を導くと言われる「マーシャドー」 ほぼ悪役。
この二体は一体なんだったのだろうか。

クロスが悪しきトレーナーとして輝きを失った羽を捧げると、その御一行を全て攻撃対象として認知してしまう「マーシャドー」 なんですが、こいつが能筋かよと思わせる攻撃性。

何のためにサトシの影に潜んでいたのだろうか。
最終的にサトシを殺す悪役だとしても、状況判断も出来ないこいつに殺されるサトシも浮かばれない。

マーシャドー「あー、輝きが失われたホウオウの羽が捧げられた。全員殺す。」
サトシ「えー、俺じゃないのに((((;゚д゚))))  ピカチュウだけでも助けないとー」
ピカチュウ「ピカピ― (ノ∀`)」

なにこれ。

話しの筋としては、マーシャドーがクロスを消滅しようとする話の方が納得できるし、別にサトシ死なないでも話まとまるだろとか思ったりしてしまいました。

前向きな個人的考察としては

「ホウオウより導くものとして役割を与えられているマーシャドーは輝きを失ったホウオウの羽を供えたトレーナーを圧倒的な力で制裁する(殺す)が、その目的はトレーナーを正しき道へ導くためであり、そのマーシャドーの制裁により失われた命はマーシャドーに継承されているホウオウの力によって再生する。」

この考察はホウオウ登場後、全てのトレーナーの傷を癒すシーンから繋げたものですが、どちらにしても受難なサトシに変わりはありませんねw 単純にぶっ殺して反省させると言う恐ろしい手法ですw

・サトシとピカチュウの関係性

今作サトシがピカチュウをかばうシーンは三回あり、いずれも同様のセリフの下、ピカチュウの行動が変わることの意図がどうも伝わりにくい。

・オニドリル襲撃→サトシの前に立ちはだかりオニドリルを一掃攻撃
・マーシャドー襲撃一度目→ボールに入らずにサトシと攻撃を受ける→瀕死
・マーシャドー襲撃二度目→ボールに入って助かる→サトシ消滅

本来、この行動の変化はサトシとピカチュウの絆が強まっている事を示す方向の演出なのだとは思うのですが、三度目のサトシ消滅前、なぜピカチュウがボールに入ったのかが、今作で最も謎な部分、モヤモヤする場面となってしまいました。

また、この後サトシが完全消滅し、復活するわけですが、ココのシーンをどう解釈してよいかも評価が分かれているところだと思います。

・サトシとピカチュウの絆によって復活
「ポケモンとの絆だけで命が再生すんの?」

・ホウオウの力によって復活
「この時点でホウオウいないじゃん。」

・マーシャドーによって復活
「羽の色は黒いままじゃん。」

正直、いずれにしても非常にモヤモヤする結論です。
ちなみに小4は「サトシはピカチュウ(クロノス)によって復活したバグスター」と言ってます。

・エンテイ、ライコウ、スイクンの話

命を落とした三体のポケモンがホウオウによって命を与えられ、エンテイ、ライコウ、スイクンとなったと言う話がサトシ復活の伏線ならば、サトシ復活の時にホウオウが命を与える描写があってもいいのに、実際にサトシが復活する時、その場にホウオウはいないわけでなんだったのこの話?

この話に時間を割くのであれば、マーシャドーにもうちょっと明確な役割と知性を与えとけよとか思ったり。

・ポケモンバトル

今作で、サトシは当初「ポケモンマスターになるためには一番強くなる!!」と言うスタートから、ポケモンを捨て、傷つけてでも最強を目指すクロスを「ポケモンとの絆も大切なんだ」と説得するもそのバトルに敗れ、自分の正義に疑いを持ってしまう。

「自分の正義を証明するために負けてはいけないバトルに負けてしまった」

その葛藤の中で「ポケモンバトルをするのは全てのポケモンと友達になりたいから」と答えを出し、改めてポケモンマスターを目指すサトシはすごく良かった。

そして、それを他のトレーナーに強制しないからこそ「サトシのポケモンマスターへの道」が際立ち、アニポケサトシの20年を全肯定するような「20周年記念作品」らしい描写だと思います。

もう、コレを軸に作って欲しかったわーと思うレベル。

・ロケット団

もっと活躍して欲しかった。(-_-;) 長くなりそうなので割愛。

・20年

湯山監督(アニポケ製作者)としては「積み重ねた20年」としての集大成の作品だったのだと思います。

しかし、「ポケットモンスター」は「20年積み重ねられた歴史あるコンテンツ」と言うよりは、消費者それぞれが、それぞれのタイミングで楽しんでいる(楽しめる)コンテンツであり、だからこそ、我が家の小4も四歳もポケモンが好きなのだろうと思います。

20枚のコインを重ねているのか。並べているのか。

この20枚の他にも、ポケモンGOであったり、ゲームボーイ(3DS)であったり、カードゲームで会ったり、色々なコインをそれぞれが持っているわけで、ポケットモンスターと言うコンテンツに対しての立ち位置の違い、多様性を改めて考えさせられる事となりました。

20周年作品として、誰しもが評価する作品をリリースするのは難しいとは思うのですが、あまりに「アニポケの積み重ねた」感が随所ににじみ出ている今作は正直微妙でした。

次回は完全新作でお願いしたいですね。m(._.)m

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ポケモン|ネタバレあり!! 「キミにきめた!」を見てモヤモヤする話」への3件のコメント

  1. ピカチュウがしゃべった!!!!!
    まず、自分はこの映画でピカチュウがしゃべったことに対する困惑が5割、違和感が2割、感動が1割、興醒めが1割といった感じでした。

    ほとんどの方が感じているように精神世界的なシーンととらえるのが妥当だと思います。
    その中でも幻聴という意見をよく見かける印象ですが、個人的にはテレパシーのような心のシンクロが起きたと思っています。
    幻聴だとサトシの勘違いや思い込みと言えてしまいますが、ポケモンという作品自体がポケモンと人とが相互に心を通わすことをテーマとしている節があるので、
    一方通行の幻聴や思い込みなどといった事象に留まらない奇跡の心の交流が起きたのだと思います。
    ポケモンってこういう奇跡が起きてもおかしくない世界観ですよね。
    TV版と違い、映画ではサトシはホウオウの羽根を貰った特別な存在=虹の勇者です。
    その特殊な役回り、なぜホウオウはサトシを選んだのか?という答えだと思っています。
    とはいえ、本当かも?幻覚かもね?みたいな曖昧な現象にしておいたほうが想像が膨らむので明言なんかしないでしょうね。

    個人的にはピカチュウがしゃべることには反対です。
    ミュウツーの逆襲でピカチュウがしゃべらなくても痛いほど気持ち伝わりましたよね。
    どちらがより心にぐっときましたか?私は喋らない方が泣けます。
    何度も見たのに未だにあのシーン見ただけで泣けます。
    しかし今回のピカチュウは感動はありましたが醒めている自分がいるのも確かです。
    何故、喋らなければいけなかったのか。
    あの作者に限って能力不足ではないでしょう。
    ポケモン(という夢物語)は子どもの時だけの特別。大人になったらポケモンから卒業して現実に生きて欲しい。という作者の昔からのメッセージが原因でしょう。
    あの作者は本当はあまりポケモンを大人に楽しませたくないようですね。
    ポケモンに熱中するのは子どもの頃の一瞬のきらめきであって、大人になってまでゲームで遊ぶような存在を全否定しています。
    残念ながらそうした思想の元作られているため、ポケモンのいない現実世界のメタ設定などを随所に現実を意識させるシーンを盛り込んでいます。
    大人になったら夢物語から卒業して現実世界に立ち向かうべきだと。
    おじいさんも叫んでますよね、生きろ!とにかく生きろ!そうすれば道はきっと開く!未来は虹色に輝いているんじゃ!、と。
    現実世界とそっくりの幻覚(あるいは夢の中の夢)を見せられたサトシは、それでもこの先に何があるのか?と想像を膨らませてワクワクしています。
    しかしサトシはまだ子供なのでピカチュウを求めてポケモンのいる夢世界に戻ってきます。
    そう、作者的にはポケモンの世界は夢そのものと言ってもいい存在なんですよね。
    では大人の視聴者に対してどういうメッセージが込められているのか?
    マーシャドーは影から導いてくれる、マーシャドーは全てを閉ざし全てを正す。
    まるで現実世界のお母さんのような存在ですね。
    問答無用でゲームを消してしまいます。セーブデータなんて取ってない場合、途中までの冒険は消し飛びますw
    半分冗談はさておき、マーシャドーは良心の呵責であり自信の弱い心であり挫折であり後悔であり自暴自棄でもあります。
    作中でもサトシは自棄になって何もかも台無しにしてしまったり癇癪を起したりと道に迷っていますよね。その時マーシャドーは導いています。
    このままでいいのか?と。
    逆に言えばホウオウは夢であり希望であり追い求める理想であり将来の願望でもあります。
    つまり、未来は虹色に輝いている。という発言は未来は希望で輝いているとも取れます。
    未来が虹色になるのか色をなくしたものになるのか、は己の心次第であるということですね。
    閑話休題。
    かなり話が脱線してしまったが、ピカチュウがなぜしゃべったのか。
    ずっと一緒にいたいから。と、伝えるため!・・・だけのはずがありません。
    しかしこの作者は大人になってまでずっとピカチュウと一緒に(夢の中に)いさせる気はありません。
    レントラーの死のシーンを入れることにより、いずれ来るであろう永遠の別れを想起させています。
    一瞬の輝き、子供の頃だけの特別な体験。ピカチュウはその象徴のような存在なのでしょう。
    故に、今この瞬間の大切さを子供に伝えると同時に、大人には大切な記憶を胸にゲームは卒業して現実世界を生き抜けと。
    一緒にいられる時間は有限であり、出来るだけずっと一緒にいたいという台詞。
    それら複合的な必要性がピカチュウが言葉を発しなければならなかった理由と推察します。
    そう、基本は子どもに対するメッセージなんです。
    大人に対しては、良く言えば子供の頃の大切な記憶を胸に自分の道を進んで未来を切り開け。
    悪く言えば、これ子供向けコンテンツだから大人はいつまでも夢に逃げてないで現実を生きな。っていう痛烈な批判。

    捕捉
    ピカチュウのモンスターボールに入らないことについて
    最初は人が嫌いでモンスターボールもいけ好かなかったピカチュウが、
    サトシと出会って一緒に冒険するうちにずっと一緒にいたいと思うようになった。苦楽を共にしたい。
    こんなとこじゃないでしょうか?
    出会いの場面→人間が好きじゃない。従いたくないのでモンスターボールにも入りたくない。
    サトシがオニスズメからピカチュウを助けようとしてるシーン→意固地になっている。まだ人間は信じられないがサトシの姿に心動かされつつある。自分だけ逃げたくない。複雑な心境
    ラストのサトシがピカチュウを助けようとしてるシーン→冒険してきてサトシに心を許した。自分だけ助かりたくない。
    といった感じでしょうか。

    捕捉2
    サトシの消滅からの復活
    メタ設定として作者は、ポケモン世界とは子供の頃の夢そのものであるととらえているため死にません。
    あのサトシが夢で見た現実世界も夢の中の夢と言えるかもしれません。
    あるいはあちらが本当の現実の実際のサトシかもしれません。(おそらく作者的にはそう捉えていそう)
    奇跡が起きてもおかしくないと思えるのがポケモン世界ですので、ホウオウの能力あるいは羽根の能力という可能性もあります。

  2. 以下、故・首藤剛志のコメントより抜粋
     『ポケモン』の世界は、子供の夢見る冒険の世界である。
     でも、いつか大人になり、子供の夢見る虚構の世界から卒業する。
     だが、その時広がる大人の世界を、子供たちに殺伐とした目で見てほしくなかった。
     妙な悟りで受け入れてほしくもなかった。
     かといって、虚構の世界で夢に酔いしれている、外見だけは大人で心はいつまでも子供、という人間を育てたくもない。
     『ポケモン』の世界は、子供が大人になる途中の通過儀礼のように描きたかった。
     子供たちには、いつか、『ポケモン』世界の虚構と別れる時が来てほしかった。
     そして、大人になった時、自分の子供時代を懐かしく思い出せるようなアニメにしたかった。
     つまり、『ポケモン』アニメは、ある時期が来れば、『ポケモン』世界との別れのある……つまりエンドマークのつくものにしたかった。しかもそれは、子供が感じる人間の大人の世界への殺伐としたエンドマークでなく、明るく希望に満ちたエンドマークである事が必要だと思ったのである。

    抜粋ここまで

    つまり、首藤剛志氏の遺志を継いで今作が作られたことになる。

  3. 首藤さんのコメントは初めて見ました。強烈ですね。

    しかし、「子供向けのコンテンツ」だからこそ、現実社会とのリンクを描く必要はないし、
    「子供が見て純粋に楽しいと思える映画」に仕上げて欲しかったです。

    あれが大人に対して「ポケモンから卒業しろ」と言うメッセージだったなら、
    それは映画に入れるメッセージでは無い気がします。

    大人になり現実社会で生きているからこそ、虚構の世界を大切にしたいと感じますし、
    親目線だと「子供が楽しむ虚構の世界を守りたい、純粋に楽しんで欲しい。」と願うゆえに
    子供向けのコンテンツに大人向けのメッセージを織り込むのはナンセンスだと思うのです。

    「キミにきめた」は20周年と言う事もあり、営業的に古参から新規まで幅広くフォローしなくてはならない作品だったので難しい部分もあったとは思いますが「子供向け」である事を一番に考えて欲しかったんだなと、頂いたコメントを読みながら今更ながらに感じました。

    コメントありがとうございました!!  ( ゚д゚)ノシ

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